6年前、僕はある飲食店の内装仕上げを請負った。
「ぼちぼち」というお好み焼き屋さん。このお店を2店舗手掛けた。そのうち1店舗が川口にある。おととい急遽川口の現場にヘルプで入ることになり、駅前の巨大なライオンが当時の記憶を呼び覚ました。
典型的なS30系エージング(このお店は昭和30年代の大阪)。”ディストレス”と呼んでいたが、簡単に言うと大工さんが作った隣でバーナーで焼いたり、削ったり、どついたり、とまぁ「ある秩序をもった破壊」を施す。手段は様々だがおよそ人間が取るであろう破壊行動と自然がもたらすあらゆる経年変化を想像して形を壊す。そこに色を入れることでリアルに朽ちたエージングが出来る。そこにはストーリーが生まれる。まさにエージングの極み。
僕が手掛けた2店舗は今までのキャリアの中でも最高の出来だ。もう二度と組めない様な素晴らしいチームだった。そのお店が6年経った今もまだ頑張っているのを見て入らずには居れなかった。
客として初めて入った。
店内は当時のエージングにお客が書いたであろう落書きや油汚れ、埃玉など6年分のエージングが加わり、厚みのある調和が生まれていた。
今までいくつもの店舗の仕上げをこなして来たけれど、お店を仕上げるのは僕ではない。”お客さん”が入って初めて仕上がるのだ。
カウンターに座ってビールとモダン焼きを食べてたら、涙が自然と溢れ出て目の前のお好み焼きがぼやけた。
当時、僕は繊維筋痛症でいよいよ体が思う様にならなくなっていつも不安だった。一度は断った仕事だったけど断わり切れずに沢山の職人たちの力を借りて納めた。最後にみんなが僕の事を「ミスターぼちぼち」と呼んでくれた。それは認めてくれた瞬間だった。
それ以後、僕は請負う仕事を辞めて雇われ職人に成り下がった。その後は病気がどんどん悪化して、身体中にシップを貼りながらミイラ状態で全身の痛みに耐えた。歩くのも困難な日々が続いた。終いには精神も病んだ。クスリで身体がボロボロになった。そして6年の年月を掛けてそれらを乗り越えて、今ようやく自分のやりたい事に一歩近付いた。
しょっぱいお好み焼きは走馬燈の様に記憶を甦らせて、僕は一人カウンターの隅で、涙を流れるに任せて人目もはばからずボロボロ泣いてしまった。もう二度と戻る事が無いとどこかで分かっているから。
今はこの仕事にあまり未練を感じないが、愛があるんだろうな。素晴らしい仕事だ。
携帯カメラで撮ったらピンぼけしまくり。涙でぼやけた僕の視界みたいだ。



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